江戸東京野菜について

鳴子ウリ・府中御用ウリ

 府中の史実によると、徳川氏の入国以後、幕府への上納の例としては、東京湾に面する品川以南の漁師町、「御菜肴八ケ浦」、多摩地方で、多摩川の鮎上納、小金井の御用粟、野菜は、葛飾郡隅田村、府中と柏木で、真桑瓜の栽培・上納が課せられていました。
 江戸柏木の成子の御前栽について、文政の『江戸町方書上』、一、当所名産鳴子瓜の儀は、元和年中の頃、専ら作り上納致し侯由。年々瓜畑を選び、反別・持主名前など書上げ作り申し侯由…。」とあり、「鳴子瓜」の名の起こりが説明されています。
 府中では、真桑瓜栽培の御用農夫として技術に買われ、美濃国の上真桑村百姓庄左衛門と下真桑村百姓久右衛門の二人が、府中に召し呼ばれました。彼らは毎年二月初めごろに、美濃から府中にきて、御用瓜の栽培を勤め、上納の御用が済んで、夏八月末には、ふたたび美濃へ帰って行きました。美濃と府中との間を、毎年、半年ごとに往来していました。