江戸東京野菜について

馬込三寸ニンジン(馬込大太三寸ニンジン)

 大田区西馬込の篤農家、河原清吉氏らによって品種改良により生まれた10cmほどの人参です。砂村三寸(西洋ニンジン系)×川崎三寸(西洋ニンジン系)の掛け合わせからうまれました。この三寸人参の元となる西洋種の人参が伝わったのは明治初期で、それまでは滝野川人参に代表される長さ1mもある長人参が主流でした。大正の初期頃からは、砂村三寸や川崎三寸の人参を栽培していました、その経験から、両者の良いところを受け継いだ交配種を作り上げたのです。
 この人参は色や味も良く、農家にとっては年に2回の収穫できるうま味もあり、歓迎されて大田区から全国へ広まっていきました。古く江戸時代、人参は根だけでなく葉も食べられ「胡麻味噌和え」に使われていました。全部が食されていたわけですが、現在では葉の匂いや味が嫌われ根のみが食べられているようになりました。

代表的な取り扱い地区のJA

JA東京みらい http://www.ja-tokyomirai.or.jp
JA東京むさし http://www.jatm.or.jp/
JA東京中央 http://www.ja-tokyochuo.or.jp/