江戸東京野菜を語る

 太田道灌が江戸城を築いてから130年ほど後の1590年に、徳川家康が江戸に入り、今の東京の礎を築き上げました。

 江戸時代の江東三区では、湿地や干潟が広がっていましたが、人々によって新田開発や開拓が行われ、水田や畑に変わりました。さらに、江戸の府内から出る下肥などを肥料として利用することにより、米や野菜が盛んに生産され、大消費地である府内で販売されました。

 一方、武蔵野台地に位置する現在の多摩地域では、火山灰土壌で河川も少なく畑も無かったのですが、江戸府内への食料供給のため、新田開発が行われ、1653年には玉川上水が開通し農業生産も増え、大八車や牛車、川船を使って府内まで農産物を届けました。

 このような江戸と東京の農業の歴史は、一日一日を積み重ねてきた農業者によって綴られてきました。そして現在もその歴史を引き継いでいる方が居ります。

 「江戸東京野菜を語る」は、江戸時代から昭和中期にかけて区部や多摩地域で栽培されてきた伝統野菜である「江戸東京野菜」を、引き継いで栽培されている方々、また、料理や流通の面から支援している方々に焦点を当てて、記録として残していくものです。

江戸東京野菜を語る