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【江戸東京野菜を語る ⑨ 】亀戸大根とともに生きてきた町~升本四代目、塚本光伸さんの語り

 

 

 

 「亀戸の名物?そりゃ亀戸大根でしょう」。そう言って、亀戸升本四代目社長の塚本光伸さん(74)はためらいなく言葉を置いた。江戸東京野菜という言葉が一般化するずっと前から、この町では、ごく当たり前の存在として亀戸大根が食卓にあった。その「当たり前」を料理屋として商いとして、どう残してきたのかー。塚本氏の語りは亀戸大根の歴史そのものと重なっていく。亀戸はかつて湿地と干潟の広がる土地だった。少し南へ行けば海があり、あさりやはまぐりを掘って遊ぶ暮らしがあったという。塚本氏の記憶は、江戸東京野菜が文献の中の野菜ではなく、生活の延長線上にあったことを鮮やかに示す。小ぶりで、きめが細かく、あさりの旨みを邪魔しない亀戸大根は、そうした水辺の食文化の中で自然に育まれてきた。明治三十八年創業の升本は戦災で焼け、火事で再建を迫られ何度も存続の岐路に立たされた。塚本氏自身も、家業を継ぐことに葛藤し、逃げ出した過去を率直に語る。それでも最終的に選んだのは亀戸という土地と、そこで育ってきた亀戸大根に向き合う道だった。江戸東京野菜とは完成された伝統ではない。人の記憶と選択、商いの現実の中で更新され続ける生きた歴史である。塚本氏の語りは「亀戸大根」という一本の大根を通して土地と暮らし、そして食文化が今につながる瞬間を静かに、そして大胆に浮かび上がらせた。

(聞き手:星槎大学客員教授・元東京都知事特別秘書、石元悠生)

 

湿地と海の記憶が育てた亀戸大根

亀戸升本の歴史と亀戸大根との出会いを語る
塚本光伸代表取締役

「亀戸ってね、今はもう普通の町に見えるでしょうけど、昔はこの辺り一帯が湿地帯でした。徳川の時代に利根川の流れを銚子の方へ付け替えて、この辺を干拓する前はほんとに海みたいな土地だった。亀の形をした島があったから亀島と呼ばれていたなんて話もあります。また、水のいい井戸があったから『亀井戸』って名前が残ったとも言われています。亀戸大根は小ぶりできめが細かいでしょう。だから、あさりと一緒にしても味を殺さない。主張しすぎないけどちゃんと甘みがある。あさりと相性がいいのです。この土地でこういう食べ方があったからこそ、亀戸大根が育ってきた。亀戸大根は、ただの野菜じゃなくて、亀戸という土地の記憶と一緒に残ってきた大根だと思います」

「うちは、もともとは酒屋でした。当時の酒屋って、今のコンビニみたいな存在だったと思います。安定して商売ができるといえば酒屋か米屋か、それから炭や炭団(たどん)を扱う店。生活に欠かせないものを扱う商いでした。それに昔の酒屋は、ただ一升瓶を売るだけじゃなかった。店先で立ち飲みをさせたり浅漬けなんかをつまみに出して一杯飲んでいく。いまの居酒屋の原型みたいなことを、もうやっていたわけです。酒を売る場所であり、人が集まる場所でもあったのですね。ところが、昭和二十年三月十日の東京大空襲で全部焼けてしまった。建物も、商売も、何もかもです。酒も入ってこない。そうなると、もう酒屋としては成り立たない。それで戦後は、形を変えて再出発しました。割烹なんて、そんな立派なものじゃない。要するに大衆的な居酒屋です。生き延びるために土地に合わせ、できる形で続けていく。それが、升本の戦後の始まりでした」

焼け跡から続いた商いと逃げた時間

「正直に言えばね、嫌で仕方なかったです。高校を卒業した、その次の日に考える間もなく家を出て大阪に逃げました。それくらい、家業を継ぐということが、自分の中では受け入れられなかった。親父は、もともと商売人の性分じゃない人でした。いろんな事情が重なって、仕方なく店を継いだ。好きでやっているようには、どうしても見えなかったのです。その姿を子どもの頃から見てきましたから。商売を継ぐということが、苦労を背負い込むことにしか思えなかった。だから余計に、ああはなりたくない、と思っていたのです。大阪に行ってからは、もう何でもやりました。飲食の仕事もしたし、住み込みで働いたこともある。若かったし、体も動く。仕事はいくらでもあった。奈良も京都も神戸も休みの日にはふらっと行ける。あの頃は、本当に楽しかったです。東京に戻るのが嫌で仕方なかった。それくらい、自分の人生を生きている感じがありました。そんな時に、親父が危篤だという連絡が来て呼び戻されて、実家に帰ったその日に親父は亡くなりました。四十九歳でした。亡くなる直前に、『後を頼む』と言われたんです。でも、そのとき私は、はっきり『やらない』と言った。それくらい、まだ気持ちが追いついていなかった。そこから先は、簡単に語れるような話じゃありません。家族のこともあったし、周りの目もあった。紆余曲折を経て、気がつけば今ここにいます。人生って本当に思い通りにはいかないものです。でも、逃げた時間も、嫌だった気持ちも、全部ひっくるめて、今の自分があるんだと思っています」

「1998年でしたか、割烹升本が全焼しました。そのときは正直、本気で『もうやめようかな』と思いました。ほかにも店をやっていましたし、無理にここにこだわらなくてもいいのではないかという気持ちもありました。ただ、続けると決めるなら中途半端じゃ意味がないとも思ったんです。料理がうまいだけじゃ、人はわざわざ亀戸まで来ない。これは長く商売をやってきて、身に染みて分かっていました。じゃあ、何を理由に亀戸まで足を運んでもらうのか。ここで店を続ける意味は何なのか。火事は、そのことを改めて突きつけられる出来事でした。そこで考えたのが、亀戸大根でした。正直に言えば、『大根の専門店なんて誰が来るのか』と周りはみんな反対しました。そんな商売が成り立つわけがないと。でも、その一方で、私は全国の長く続いている店を見て回っていたのです。

そういう店に共通しているのは、自分が何度も行きたいというより、誰かを連れて行きたくなる店だということでした。話題があって、物語があって人に勧めたくなる理由がある。そういう店は、時代が変わっても残っている。亀戸には亀戸大根がある。だったら、それを真正面から看板にするしかない。火事は大きな損失でしたけど、同時に店の在り方を根本から考え直すきっかけにもなりました。亀戸大根を看板にするという決断は商売の工夫であると同時に、土地と一緒に生きていく覚悟を決めることでもあったと思っています」

亀戸大根がお客様をお迎えする
亀戸升本すずしろ庵の店頭

「亀戸大根とは?大根でしょう」当たり前の味出し続ける

「料理のうまい、まずいって、結局は9割が素材だと思っています。素材がよければよっぽど変なことをしなければ、料理は自然とうまくなる。逆に言えば、素材がよくなければ、どんなに手をかけても限界がある。長く料理屋をやってきて、行き着いた実感です。亀戸大根はその年、その時期によって、まったく表情が違います。水分の入り方も甘みの出方も違う。だから、味噌は決め打ちじゃない。その時の大根を見て触って味をみて少しずつ調整します。料理というより、素材と相談している感じに近いかもしれません。あさりも同じです。昔は東京湾のあさりが本当によかったのですが、今は北海道の厚岸町から取り寄せています。身がしっかりしていてだしもきれいに出る。亀戸大根の繊細さを受け止めてくれます。亀戸大根は主張しすぎないので、あさりの旨みを邪魔しない。それでいて、煮るとちゃんと甘みが出て全体をまとめてくれる。この鍋は、新しく考え出した料理というより、この土地が海に近かった時代の食べ方が、そのまま形になったものだと思っています。水辺の暮らしがあって、あさりがあって、それに合う大根があった。その関係が、一つの料理として残っている。それが、亀戸大根あさり鍋です」

一度は幻の大根となった亀戸大根。亀戸升本が種子を持っていた篤農家と共に生産者を集め、亀戸大根を蘇らせた。

「正直に言って楽じゃないです。昔は10月頃から5月くらいまで亀戸大根が取れました。それが今は、11月からせいぜい4月の初めくらいまでが限界。暑くなってくると花が咲いてしまって、そうなると食味も変わる。硬くなったり、味が極端に出過ぎたりして、とても料理には使えなくなります。温暖化の影響はもうはっきり体感しています。生産者も限られていて決して余裕がある状況じゃない。

だから、もし万が一、今の生産者さんが続けられなくなったらどうするのか、そんなことも現実的に考えなきゃいけない。場合によっては、自分たちで農地を持ってやるしかないのかな、と思うこともあります。それくらい綱渡りの状態です。それに亀戸大根は土が違えば、形も味もまったく変わってしまう。実際、鉄分が強い土地だと黒っぽい大根になることもある。同じ種でも、畑が違えば、別の野菜になってしまいます。だから江戸東京野菜とは単に古い品種という意味じゃないのです。その土地の土や水、気候と一緒に育ってきた土地の野菜だと思います。亀戸大根も、まさにそういう存在です。作り続けるということは、野菜だけじゃなくてその土地の条件ごと守り続けることなのです」

「大根でしょう。それ以上でもそれ以下でもない。私にとっては、まずはそういう存在です。ただね、その大根という一言にはいろんな時間が詰まっている。亀戸で商売を続けてきた時間もそうだし、人が暮らして食べてきた記憶もそうです。特別に飾り立てるものでもないし、立派な言葉をつける必要もない。でも、なくなってしまったら困る、気づいたときにはもう戻ってこない。そういうものだと思っています。だから、亀戸大根を守っている、なんて大げさなことを言うつもりはありません。ただ、この土地で商売をしてきた人間として、ここにあった当たり前の味を当たり前に出し続けてきただけです。それが結果として残るならそれでいい。亀戸大根は、私にとっても、この町にとっても、そういう存在だと思っています」

江東区で最も歴史の古い香取神社。
境内には亀戸升本が建立寄贈した
亀戸大根の碑がある。