江戸・東京の農業

陸稲の藤蔵糯

 日本人の主食として大切な米は水田でつくりますが、田の少ない地方では陸稲として畑で栽培し、畑作地帯の重要な作物でした。そのため熱心に品種改良が行われ、東京の農家が作りだしたものも数多くあります。

陸稲の糯米「藤蔵糯」は明治30年代はじめ、荏原郡駒沢村下馬引沢(現在の世田谷区下馬)の清水藤蔵氏が、それまで栽培していた尾張糯を改良してつくりだしたことから「藤蔵糯」と呼ばれました。

田んぼで作る水稲に比べると粘りが弱い陸稲は、赤飯に用いられ、餅には水稲が使われていました。しかし、この「藤蔵糯」は、水稲に劣らぬお いしい餅をつくることができ、収量が多く、病気にも強いので、東京都の奨励品種にも採用されました。また、その後に品種改良された、「陸稲農林一号」をは じめ、優れた品種をうみだす母体ともなりました。

スタンプ

駒繋神社

世田谷区下馬4-27-26 (バス駒繋神社3分)
TEL:03-3414-8369