江戸・東京の農業

赤塚たんぼ

 この地は天保12年(1841)高嶋秋帆が鉄砲や大砲を使って兵を訓練したことが有名で、高島平と呼ぶようになりました。

江戸時代、東は志村から徳丸、四葉を経て西は赤塚、新河岸あたりまでの荒川右岸一帯は台地からの湧水の多い湿地帯で、徳丸ケ原と呼ばれていました。ここに水田を作り正保年間(1644~8)には4,900俵(294トン)の米が生産されていました。

明治2年、徳丸ケ原は大がかりな開墾が行われ、大正5年には、352ヘクタールの水田から、14,000俵(840トン)の米を生産する穀 倉地帯となりました。かつてこの地域は大半が旧赤塚村に属していたので、農家の間では「赤塚たんぼ」とよばれ春ともなると、菜の花やれんげの咲き乱れる広 々としたのどかな田園風景でした。

また、赤塚村には、長徳元年(995)より五穀豊穣と子孫繁栄を祈る国の指定重要無形民俗文化財の「田遊び祭」が、農家の人達によって今なお受け継がれています。

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