江戸・東京の農業

中野甘藍

 キャベツ(和名・甘藍)が野菜として日本に入ってきたのは明治の初年、涼しい気候を好む野菜なので秋に収穫されていました。

 明治15年頃、西洋野菜の将来性に注目していた細田の篤農家・中野藤助は、苦心してキャベツの品種を集め、十数年間にわたり栽培研究に没頭しました。

 30年頃になると、藤助の予想通り、キャベツの需要が急増してきましたが、初夏には貯蔵キャベツも無くなるため、秋にタネをまいて春どりす ることができないものかと、輸入種の中から優れた品種をみつけて改良を続け、ついに秋にタネをまき春収穫できる品種の育成に成功しました。

 35年、藤助は東京府立農事試験場金町分場や国立農事試験場にも試作を依頼し、優秀であると絶賛され「中野甘藍」と命名し不動のものとしました。

 44年には近隣の農家に栽培が広がり、南葛飾郡内の栽培面積は45ヘクタールに達し、特に中野甘藍は暖地に適した品種なので、以後、大正の初期にかけて九州や四国を始め全国に広まるなど、日本でのキャベツ栽培の基礎を築きました。

スタンプ

稲荷(細田)神社

葛飾区細田3-17-6 (JR総武線新小岩駅25分)
TEL: 03-3672-9230