東京農業歴史めぐり

粟の古里一号

 作物としてのアワの歴史は古く、日本書紀や古事記などにも記録があり、長い間、重要な主要食糧でした。つくりやすいうえに、栽培期間が短いので、秋が早い山村の畑でも良く出来る大切な作物でした。

 アワには、糯種と粳種があり、糯種は粟餅にして食べ、粳種は米や大麦と混ぜてご飯に炊き込んで食べられていました。

 第二次世界大戦後、東京都農業試験場では都内の各地でつくられていた数多くの品種を集め、品質や収量を比較したところ、古里村(現在の西多摩郡奥多摩町小丹波)でつくっていた一品種がもっとも優れていました。そこで、これを「古里一号」と名づけて普及しました。

 宮中新嘗祭に献上するため東京の農家は毎年代表を選び、アワを栽培していますが、昭和34年から献穀アワには優良品種の古里一号が栽培されています。

熊野神社

西多摩郡奥多摩町小丹波宮ノ下473
(JR青梅線古里駅下車3分)
TEL:042-885-2305