江戸・東京の農業

柳久保小麦

 麦は米とともに重要な主食作物であると同時に、味噌などの原料でもあり、かつて冬の東京の畑は一面が麦畑でした。

 小麦の品種「柳久保」は、嘉永4年(1851)、現在の東久留米市柳窪の奥住又右衛門が、旅先から持ち帰った一穂の麦から生まれたと言われ ます。優良な小麦だったので評判になり、「又右衛門種」、あるいは「柳久保小麦」と呼ばれ、東京各地や神奈川県など近隣県の農家でも栽培されました。

 この麦からは良質の粉ができ、うどん用として大変人気がありました。また、麦の草丈が長いので、麦藁は農家の「わら屋根」にも利用された重要な品種でした。

 こうして、この麦は長い間栽培が続けられていましたが、昭和17年でその姿が消えてしまいました。 現在、柳久保のタネは農林水産省生物資源研究所に保管されています。

スタンプ

天神社

東久留米市柳窪4一15-16 (JR中央線武蔵小金井よりバスで滝山団地行き終点)
TEL:0424-71-1542