江戸東京野菜について

雑司ヶ谷ナス・中野中生山ナス(改良中生山ナス)

 雑司ヶ谷ナス・中野中生山ナス(改良中生山ナス)は中野村の名主堀江家が育種したナス。
 中野には弥生時代の遺跡もあるが、中世には徳川家康の支配下に置かれ、青梅街道が整備されて中野村が作られる。
 宝暦年間(1751-64)に中野村の名主・堀江家がナス苗を江戸城の吹上、里山、三の丸に納めていたが、西山(中野以西の丘陵部)と呼ばれた中野で栽培されたナスを、「山ナス」と呼ぶようになった。

 江戸時代、清戸坂の北側一帯は雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地は一部)で、坂の道沿いには雑司ヶ谷清戸村百姓町があり、江戸への野菜供給基地として茄子のほか、大根や青菜などを生産していました。
 江戸時代のはじめより栽培され、西山方面で多く栽培された品種。西山にちなんで、山茄子、雑司ヶ谷茄子(ぞうしがやなす)の別名があります。

代表的な取り扱い地区のJA

JA東京あおば http://www.ja-tokyoaoba.or.jp/
JA東京むさし http://www.jatm.or.jp/