江戸東京野菜について

平山陸稲(稲)

 明治45年に日野市平山の篤農家 林丈太郎が発見し固定しました。耐乾性に優れ収量も多いことから品種登録をされ、推奨品種として全国に広まりました。
 日野市でも陸稲が作られなくなり、平山陸稲の種子が農家にも無くなった後、平成9年ころ年ころより林丈太郎の地元である日野市平山の平山小学校で児童に話をするだけでなく実際に作らせたいと、種子の捜索が始まりました。地元のJA東京みなみや協力農家で平山小の学童農園を熱心に指導していた小林和男氏により農水省生物資源研究所のジーンバンクに種子のあることを発見し、少量の種子を分けてもらい徐々に増やし復活させました。